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紀伊半島ツーリング('97夏)

 

1997.8.11〜17 (1)

 

 自転車で紀伊半島の道を走り潰そうと思いついて、もう足掛け7年になります、ランドナ−、ロ−ドレ−サ−と若い頃から自転車を愉しんできて、たまたま当時出始めたマウンテンバイク(M.T.B)を買ったのをきっかけに、キャンピングツア−を始めたのでした。数泊のキャンプをしながら紀勢本線のどこかの駅に辿り着くコ−スや、夜行列車で南紀まで行っては走ってくるコ−スとか色々工夫しながら走り続けてきました。その間に転職したり独立したりと色々な事もあり、さすがに昨年(1996年)は殆ど走れなかったのですが、奈良県吉野郡はほぼ制圧し、和歌山県南部、三重県南部とアプロ−チが大変なのですが、なんとか今世紀中には走り潰したと言える位にはなれるのではと...
目的と計画  和歌山県西牟婁郡すさみ町と東牟婁郡古座川町および那智勝浦町の未走行区間の踏破と新開通のR169東牟婁郡北山村〜奈良県吉野郡十津川村神下(こうか)の走行他。
 奈良県桜井市からR166女寄峠(めよりまたはみより)で大宇陀町、R370を南下、関戸峠、入野(しおの)峠からR169を南下、奈良県川上村、上北山村、下北山村、三重県熊野市五郷を経て、和歌山県北山村、奈良県十津川村神下、和歌山県熊野川町玉置口、奈良県十津川村竹筒(たけとう)、R311に入り熊野川町、三重県紀和町板屋から熊野川町日足(この間県境を越える事8回)小口、畝畑、林道ホイホイ坂線で本宮町、大塔安川林道で和歌山県大塔村、下川上から半作峠で熊野(ゆや)百間山渓谷、板立峠で木守、木守平井林道で古座川町平井、下露、宇筒井、滝の拝、那智勝浦町田垣内篭、高野林道、樫山林道を経て、古座川町池野山、宮の平からすさみ町佐本、宮城林道から大瀬矢野口林道、小河内(おかうち)、防巳(つづら)から大鎌椎平林道を経て、紀勢本線江住駅または和深駅から輪行、行程約400キロ。
 とにかく1日目は暗いうちに出発、走れるだけ走って、2日目はいつもの事で走れないのでボチボチと。
 正直、ロングツ−リングは2年ぶりなのと、ここ最近殆ど走っていない、太りすぎと運動不足で体調も決して良いとは云えない。荷物も極力減らして、無理をせずに。
 出発直前に林道ホイホイ坂線が通行不能の情報あり、大塔村へ入るル−トで悩んでしまう、新開通の谷口皆瀬川林道(舗装済)で熊野川町から本宮町に入るコ−スもあるが、もうひとつ気がすすまない。交通量の少ない道、未走行の道を選んで計画を練るのも愉しいと云えば愉しいが、好きな道もあれば嫌いな道もある、結構悩まされる事が多い。
出発2日前  大阪弁天町のサイクルショップタニムラへ輪行袋とペダルを新調しに、ペダルは従来から使用しているシマノのSPD、片側にビンディングがついて、反対側が普通に踏めるもの。輪行袋はボロボロドロドロになった従来と同じ位の大きさのロ−ド用、ペダルもハンドルもはずせばMTBでも十分入る。キャリアは当然はずすが。
出発1日前  銀マットがないのに気がつき、近所のDIY店で500幅のものを480円で購入、近所のサイクルショップで手袋とペダルレンチ(手持ちの小さいのは削れてしまい、大きいのは行方不明)を購入。テントの破れにキズテ−プを貼ってあったのをマトモなリペアキットで補修、ロ−ドに付いていた派手に点滅するテ−ルランプを取りつける。少し仮眠しようと思っていたのに、結局、支度ができたのは出発当日午前2時頃。
携行品  食料はほぼ8食程度を準備、レトルト食品と缶詰、ス−プ、味噌汁、コ−ヒ−等など、割箸、お米が3合(きっと炊く余裕はない?)、ドロップ、カロリ−メイト×5、燃料はプリムス250を2缶、シングルバ−ナ−とランタン、予備のマントル(オフロ−ドを走ると確実につぶれるので必須)、予備のかわいい固形燃料、バ−ナ−用風防、コッフェル、かわいいヤカン、食器(樹脂製)、5リットル程入る折り畳み式?水タンク、ヘッドランプ、テント、ミニタ−プ、銀マット、寝袋(夏用のコンパクトなもの)、衣類(7日分の下着、靴下、尻パットのはいったレ−パンは3着、帰途輪行時、世間にはばからない上下)、カッパ、タオル、医薬品(救急絆創膏、痛み止め、虫よけ、かゆみ止め、胃薬他)、地図(和歌山県広域道路地図/人文社、予定コ−スの2.5万/1、ツ−リングマップル関西/昭文社)、コンパス、自転車用工具、パンク修理キット、予備のチュ−ブ、ショックコード(ひっかけ金具のついたゴム紐)、予備の電池、筆記具、洗濯ハサミと紐のセット、歯ブラシ、歯磨き、髭剃り、蚊取り線香、テッシュペ−パ−(食器の汚れをぬぐうのが主目的)。やはり乞食 の引っ越しだなあ...
 ボトルは700cc相当が2本、最近のMTBはボトルゲ−ジを取りつけるダボが1組のものが多いが、なにせ7年前のマディフォックス、ちゃんと2組ついている。キャリアはリア用、フロントは輪行袋とカッパだけが載る小さいもの、トップチュ−ブの下に工具とスペアチュ−ブの入る程度のバッグ。今回の新兵器はタニムラサイクルで仕入れたアルミダイキャスト製のオ−トバイ式につく2本足スタンド、かなり重いが、強度は十分、ただアルミフレ−ム車はフレ−ム側がもたないかも知れない、購入時はやや長いため3cm程切断が必要、ダイキャストなので半分程度切り込みを入れハンマ−で叩くとポキッと簡単に折れる。ただ地面に食い込む事を考慮して切断しないと、短すぎると役に立たなくなるので注意、舗装面ではどちらかのタイヤが5cm位浮くぐらいでも丁度良かった。

 長時間ランタンを使わなければ夏なら250の1缶でレトルトを温めるのとコ−ヒ−のお湯位は5〜6回は十分に利用できる。500は不安定になるのと、250/2缶なら使えきれば捨てられる(もちろん大きな穴を暇にまかせてあける)。
 レトルトを温めるには結構大きなコッフェルが必要、1〜2人用セットなんて何の役にもたたない、大きいのは嵩高いけれども中にヤカンや食料を詰め込めば良い。
 なぜかシェラカップは使わない。食器はオモチャの様なプラスチック製、ヘッドランブは必須、日没後にひとりでのテントの設営や交通量の多い狭いトンネルをくぐる時には後続車へサインを送るのに便利(世の中馬鹿なドライバ−が多い、特に行楽期は)
 携帯ラジオ、確か2台程あったのだが、奥に押し込んでしまったため、出すのが大変、あっさり置いて行く。カメラ、オ−トボ−イJetすらやめて一番コンパクトな馬鹿チョンを、これが間違いバッテリがあがっていて、フィルムは装填できたのにシャッタ−が下りなくなっていた。一眼レフにレンズ4本を持っていった昔が信じられない。
 しかし今回は思い切って荷物を減らしたものだった、それでも本人、自転車、荷物を合わせると120キロにはなろうか... 本人か一番重いのは事実だが。雨の事を考慮しなけば不要なものも多いがこれは仕方がない。雨にたたられた時に乾いた衣類や靴下がどれほど有り難い事か...
結局、使わなかったものを紹介しておこう。ミニタ−プ、カッパ等の雨対策品。折り畳み式水タンク、ランタン、予備のマントルや電池、カメラ(使えなかった)とフィルム、スペアチュ−ブ(使わないのが理想)、お米3合(予想通り)、虫よけスプレ−(なぜか今回は虫に悩まされる事はなかった) 特に折り畳み式水タンクに関しては、折り畳んでも結構へんに嵩張ること、1人で5リットルも必要ない事、ペットボトルを現地調達してパニアバックにベルトでくくりつける方が使い勝手も良いようなので、次回からは持って行かない事にする。

 やっばり持っていかなくて良かったもの、ラジオ。この辺が山行きとは違う。天気予報は電話で177か知人に聞く。

 持って行くべきだったもの。ちゃんと使えるカメラ、胸焼けの薬(なぜか)。

 足らなかったもの、割箸。

 紀伊半島の山間部は都会に住む人間にとって信じられない位に不便な所である。山歩きならそれなりの用意や覚悟はして行くだろうけど... 国道とは云え40キロ以上もGSはおろか自動販売機も公衆電話もない区間があるし、地図上には地名があって人が住んでいる様でも廃村になっていたり、店なんてそこそこの集落でないとない、たとえあっても、飲み物と年寄り好みのおかきや煎餅、駄菓子の類、缶詰が限界、ボンカレ−が置いてあれば上等、基礎調味料の類はあるが、牛乳や豆腐があってもは予約制みたいになっている。スピ−カ−から演歌(一時は「踊るポンポコリン」というのもあった)などを流しながら走る移動販売車に出くわすことがあるが、これは便利、生鮮食料はもちろん、日用雑貨までありとあらゆるものを積んで山の中の集落をまわっている。先のカメラ用電池などは海岸沿いの市や大きい町へ行かなくては入手は不可能、有名な観光地に行けば使い捨てカメラ位は入手できただろうが... 町役場や村役場がある集落だからといって当てにしてはいけない。

写真は1994年のツ−リングの時のもの

8月11日
8月12日
8月13日

 

 小口から町道古座川熊野川線(地元でかつてス−パ−林道と呼ばれた、現在も一部未舗装)で古座川町七川ダム方面に抜けられるが、途中の畝畑から本宮町静川との間を「林道ホイホイ坂線」の工事が昔から行われている。ホイホイ坂のル−トは熊野参詣にも使われた道であるらしく、那智勝浦町田垣内篭の商店のおばさん曰く、昔はホイホイ坂を通って本宮へ詣でたそうである。那智勝浦本宮線と云う県道がR42下里から口色川まで北上しているが、計画ではホイホイ坂のル−トを通って本宮に至る筈である。話によるとかつて色川村(現那智勝浦町北部山間部)の村長は実力者でこのル−トの早期開通を計ったが、経路に人家の多い現在の那智勝浦熊野川線が先にできてしまった。どう云ったいきさつなのかはわからないが市販の地図に那智勝浦本宮線があたかも全通している様に記載されているものがいくつか見られる。

 ホイホイ坂については国土地理院2.5万/1地図では熊野川町側に越えた所で、直線距離で500m(但し標高差が200m程ある)を残してとぎれている。実はバイク関連のホ−ムペ−ジに紹介され、本宮町側からアプロ−チをかけ、峠を越え熊野川町側に道路決壊で通行止となっていたとある。熊野川町の通行止の看板がでているという事は一応、開通しているのでは、それと2年前に畝畑を通過した際に「ホイホイ坂」という標識がで ていたのを確認している。バイクが通れなくても、いざとなればバラしてでも突破しようという企みであった。小口から少し戻ると谷口皆瀬川林道というのが開通していて、R168に出ずとも本宮町請川へ出られるが、騒がしい川湯温泉界隈を通過するのは気が進まない。
 やはり6時前には起床、食事、寝袋とテント干し、撤収、少しでも荷物を減らそうと汚れた衣類を宅急便にして送り、9時前には小口を出発、とにかく和田川松根線を畝畑へ向かう。畝畑と小口は約14キロ、標高差で100m程だが、和田川峡沿いの狭い道で素彫りのトンネルと細かいアップダウンが続く。しかし深い谷あいへばりつく様に走る道は、車では大変だろうが、MTBにとってはなかなか魅力的なコ−ス、ボロボロだか一応舗装はされている。逆に畝畑以南は新しい工事であり道幅にもゆとりがある、但し未舗装区間が残っている。
 畝畑は現在2戸、かっては小学校もあったとはとは信じられない所である。ホイホイ坂への分岐の直前で民家のおばさんの「休憩していきなさいよ」と声を掛けてもらう、お言葉に甘えて勝手口で冷たい麦茶をよばれる事にした。現在息子さんと藤田観光の所有する山林の管理をされているそうである。自転車は来ることすら珍しいそうだが、色々とバイクの事故の話を聞かせて貰った、パンク位ならまだしも、転落したり、血だらけになってやってきたりする事が年に何度かあるそうである。
 肝心のホイホイ坂は開通すらしていないのが実際のところだそうである。さて困った、このまま古座川町へ抜けても仕方がないし、大塔村方面へ行くのは単に百間山と木守に寄り道したかっただけで、谷口皆瀬川林道まで戻った上で未舗装の大塔安川林道を越え半作峠にアタックするのは、時間的にも体力的にも無理がある。もと来た道を小口まで戻り那智勝浦町方面へ南下する事にした。「ぜひ、また来たら寄りなさい...」と云うおばさんの声を後に小口へ下る。アップダウンがあると云っても標高差100mは大きい、あっという間に小口に戻る、午後1時丁度。
 小口から那智勝浦町籠へのル−トはほぼ100−350−150−400−350mと2つの峠を越える必要があり、かつてタイヤがバ−ストしコテンパンにやられた苦い経験がある、現在は舗装も完了しているが、2つ目の登りは日当たりがきつく気が思い。とにかく休憩をとりながら日暮れ頃に2つ目の登りをこなす事にする。
 なお、途中の滝本には「宝龍の滝」を始めとして裏那智の滝と呼ばれる滝がいくつかある、殆ど人は訪れないが、軽装でも一番下の滝の滝壺の端まで行く事ができる、不便なところではあるが、近くに行く事があれば訪れてみる価値はある。
 結局、土手の本からの激坂でやられ、2つ目の登りを押し上げ、廃村の続く日の暮れた暗い木立の中の道を進み、籠に到着したのは日も暮れて午後7時だった。

(左:宝龍滝 右:籠小学校跡1994年撮影)

 籠には廃校になった小学校跡を就農者研修用として利用できる様にしている施設がある。那智勝浦町の管理だが、一般の人も宿泊可能で(1泊千円との事)自炊で風呂もあるが、校庭跡で幕営させてもらう事にする、水とトイレがあれはそれで十分。
現在は中庭が舗装されたり、校舎跡も少し改装されたが、標高350m余りの「山の学校」の雰囲気が残っている。ここから海岸線までは10数キロ離れているが、標高もあって校庭跡から天候が良ければ太平洋を望む事ができる。満月とは云えないが、月明かりに輝く海を遙かに見下ろすことが出来た。現在、数キロ下で小森川トンネルの工事が行われており、飯場が校庭跡に作られているが、お盆休みで静まりかえっていた。
 籠には一軒の商店があり、話し好きのおばさんがいて道にも詳しく、いつも色々と教えて貰う。ただし店は缶飲料、酒類、菓子類と最低限の日用品しかない。ここではいつも犬に追いかけられ、一応は飼い犬で噛み付かれた事もないし、噛まないそうだが、余程に人相風体が悪いのだろうが...
走行51.3キロ、ま、いいか。

 

 

(1997.8.11〜17/Part.2)

8月14日

 

 

 

 

 台風13号の影響か雲行きはやや怪しい。炎天下のツ−リングも辛いが天気が傾いてくると、それはそれで気が重くなる。いつも世話になる篭の店で、飲料や菓子類を補給し、高野林道に入る、4日目にしてよくやく本格的に未踏破区間に入る。暫くは比較的新しい舗装路が続くが直柱(ひたはしら)付近からオフロ−ド、路面も締まっており比較的走りやすかったのだが、小森川トンネル工事現場への分岐を過ぎるあたりから、道幅は広がるがバラスをまいた最悪の路面に変わる。ダンプや重機を積んだトラックを通すためである、ワダチこそないが、とにかく自転車にとってはパンクの危険性の高い最悪の路面である。第一サスなしのこのMTBでは乗り続ける事すら苦痛である、振動でいつのまにかハンドルバックに無造作に突っ込んであった地図(2.5万/1、滝の拝)と荷台にショックコ−ドでとめてあった缶飲料を紛失。途中で地図にはない新しい橋が、篭のおばさんに教えてもらった通り、橋の下をくぐる旧道に入る、完全な1車線路でワダチが深く、中央が草むら状態か、でなければぬかるみ、ジムニ−位しか通れない道である。地図を紛失してしまって詳細は判断できな いが、新しい道が対岸にできている様である。次の樫山林道に入るにはこの旧道をとらざる得ない。ぬかるみに突っ込んで自転車はドロドロ、その上ワダチにタイヤをとられて見事に転倒してしまう。ちなみにフロントだけ泥よけをつけている、リアはキャリアがある。橋のある三叉路に出る。高野林道の旧道と樫山林道の分岐点の様である。もちろん樫山林道に入る、勾配こそ緩やかなものの、とにかく変化の多い大変な道である。樫山の集落に近づくにつれ徐々に多少踏まれているせいか、路面の状態は良くなり、まるでゲ−トの様な岩の切り通しを抜けると視界が開けて樫山に着く、樫山は古座川町になるが、那智勝浦町の太田川の上流にあたる。新しく出来た舗装路で360m程の峠を越える事になる。樫山は数戸の民家があるだけである。峠は登りつめても稜線沿いに道が続き完全に下りに入るまで相当走らされる。楠の集落まで下りて再び峠越え、そして池野山へ到着、ようやく車が行き交い商店や看板や自販機のあるところまで下りてきた。古座川町役場の前を通りR371を西へ、ここで実は海岸線まで2キロ余りの処まで南下してきている、交通量はかなり多い、久しぶりに下界に下りてきたと云う感じである。
 ホイホイ坂を通れなかったため、ほぼ逆コ−スになってしまっている。明神橋へ到着し、公衆電話から知人の昆虫写真家に電話を入れる、紀伊半島の地形、気候に精通しているため、177の天気予報より余程、参考になる。天気図の概略を教えて貰う、台風13号は東進する様子も無く、東海上の高気圧の影響で天気はほぼ晴れ、雲は早く風はあるが山間部でも決して本降りにはならないだろうとの見解を聞いて安心する。風も追い風ならば強い味方になる。
 県道那智勝浦古座川線を滝の拝(古座川町小川にある景勝地)まで北上、清流と呼ばれる古座川だが支流の小川はダムのある本流に比べて非常に水の綺麗な川である。2年前に通った折に川原まで自転車を下ろせるポイントを見つけておいたので、滝の拝の上流5キロ程まで進む、ずっと下流からキャンプをしているのが多く見られたが、川の水を使うつもりなのでできるだけ上流へ進むことにした。なおご多分にもれずキャンプ禁止の看板が立っている、であるからしてキャンプ禁止である。一応念のため。途中、古座川町の観光協会の人と話をしたが、完全に黙認状態である。
 道路から15m程を手入れのゆきとどいた杉林の中を下ると川原に出る。雨の事もあるので、杉林よりの広葉樹の下に設営する。上流にはまだ集落があり十数戸の民家があるので、一応、飲み水だけは沸かして使う事にする。
 走行50.5キロ、どうやら今回はこのペ−スである。時々小雨がパラつくと思えば月が見えるという天気である。200m程下流でキャンプしているのと、上の道路を時々車が通るほかはまったく自然の中である。

 しかし最近はどうも野営派になってしまっている。最近のキャンプ場は騒がしいのと(物量キャンプで騒がしいのは誰?)、ゴミが出る分、虫も多く決して快適ではない。とにかく日暮れの川原でヒグラシカジカの声に耳を傾ける事が...

 小森川トンネルの事だが、現在、和歌山県の山間部で半島振興道路工事というのをあちこちでやっている。海岸線を走るR42の整備も進み、高速道が御坊まで南下してきており、田辺市までの工事も部分的に進んでいる。那智勝浦道路や紀宝バイパスというのもある。従来の川沿いに海岸線に向かう県道を結ぶ様にいくつかの大きなトンネルが作られる。小森川トンネルは那智勝浦古座川線の古座川町小森川と高野林道を結ぶ形で掘られている。先年開通した竜神村と中辺路町を結ぶ水上栃谷トンネルの完成により山間部の中辺路町へのアクセスが早くなった事は事実である。吉備ICから白馬トンネルで美山村、龍神村から水上栃谷トンネル、中辺路町から小森川トンネルを含む牟婁地方へのル−トの完成をみれば、牟婁地方に暮らす人々にとって是非とも実現してもらいたいものであろう。
 木立の中の曲がりくねった1車線幅の道を自転車を走らせながら、いつまでもこんな道が残ってほしいと思いながら、ここに暮らす人たちは便利で安全な道路網の整備を望むのは当然だし、海岸線沿いでさえ陸の孤島と呼ばれた牟婁地方、そのまた山間部の暮らしがどれ程、不自由なものかが多少は判っていても。貴重な自然の残る大塔山系に幾つものトンネルを掘り、道路をつけるという事が最善の方法であるとはどうも思えない。ここで生活する人々の利便を犠牲にしてまで環境や自然保護を云々する気は毛頭ないが、道路さえつければ、という考えにはどうも納得できない。
 「仕事がないので若者が残らない」「病気の事を考えると不安になる」という声、印象深かったのは「べつに陸の孤島でもかまわない」というおじいさんの声もあった。そして「熊野川町はごみ箱ではない」とか「産廃反対」の看板を見ると、他になにか良い方法がないのかとつくづく思う。
8月15日  6時前に目が覚めたが天気は良くない、時々パラパラと来る。谷あいという事もあるし朝のうちだけこの様な天気なのかも知れない。今日の予定は滝の拝から新設の町道で山を越えて七川ダム側へ入り、すさみ町佐本付近まで、それ程の距離でもない。暑くなる心配もなさそうだし、しばらくテントのなかでゴロゴロして久しぶりにゆっくりと過ごす。
 10時過ぎに撤収、上の道路まで荷物を分けて運び、自転車にくくりつけて出発。滝の拝まで5キロ程下り、宇筒井から大桑への町道を登り始める、途中で郵便配達のカブに追い越される、新しい峠を越えて七川ダム側へ越えてまで配達に行くとは思えないので、まだ大桑も人が住んでいるのだろう。
 走り始めてからは雨がパラつく事もなくよく晴れてくる。大桑では殆ど使われなくなった様な橋と、かつての住居の跡だと思われる平坦地に植林されているのが見える。左手の少し高くなった所に、相当の時間がたつのに先の郵便配達のカブが停めてあって民家がある。山中に残って暮らす老人(とは限らないだろうが)たちにとって郵便配達は定期的に訪れる外界との接点なのかも知れない。以前、野迫川村で廃村寸前の集落から、どうしてもおばあさんが離れようとしない、町で暮らす家族も役場も下へおりてくる様に薦めるが、聞かない。どうにか道路が雪に閉ざされる事もある冬だけは離れるが、春になると戻ってしまう。郵便配達の人はそんなおばあさんにおかずの材料や日用品を届けるそうである。
 それは本来の仕事ではないのだが、日本の田舎では駅や郵便局が過疎地のいろんな意味でのかなめとなって機能していた。郵便事業まで民営化されてしまうとどうなるのだろう、それはそれで役場の福祉委員やデイサ−ビスのあばさんが回ってくるのだろうけど...

 大桑から先は新設の町道となる、最新の地図にも記載されていない、標高400m程のピ−クに達すると、昨日の樫山から楠への峠越えと同じように、だらだらと稜線沿いのほぼ平坦な道が続く、北側の谷に七川の中学校と小学校が見下ろせるあたりから下りに入り、一気に一昨日の和田川松根線の畝ヶ崎というバス停までに下りる。
 R371に入り七川ダム湖畔を下り、途中の商店で買い出しをしてゴミを処分させてもらう。七川ダムは国道から全く見えないが、ダム下へ回り込んだところで、小形車がギリギリ通れる程度の吊橋を渡って、国道から古座川をはさんだ対岸の道へ渡り長追宮の平に向かう、ここに美女湯温泉というのがある、一応、月水金が休みなのだがお盆で開いているかも知れないと思ったが、案の定扉がしまっていた。美女湯温泉は民家を改造した様な建物で3〜4人程度のつかれる程度の湯舟の浴室(一応男女あるが、以前片方だけしかお湯がなく交代で入るように札が下がっていた)と扇風機がポツンとおかれた座敷がある。もちろん無人である。国道から対岸になるのと、先の吊橋か3キロ程下流の三尾川(みとがわ)の橋を渡らなければならない、看板や案内も殆どなく、建物が建物だけに車で前を通っても見落とすかも知れない。
 とにかく今日も風呂には入れなかった、昨日と一昨日は体を拭いて着がえもしているから不快感はないが、やはり湯舟にゆっくりとつかりたいものである。 温泉から少し下った所で佐本深谷三尾川線に入る、自動車通り抜け不可の標識があるが、以前に自転車なら佐本へ抜けられると聞いていた、確かにどの地図もすさみ町に入ったあたりで小径の表示にかわっている。佐本は元佐本村(現すさみ町)で古座川水系佐本川の流れる盆地状の地域で、公共交通機関はすさみ町役場のある所からはなく海岸沿いの江住駅からバスがあるだけである。佐本川沿いに一車線の道を釣りに来たとおぼしき車や、本当に通り抜けられないと納得して引き返してくると思われる県外ナンバーの車が結構入ってくる。道は狭いが川沿いの木立に囲まれた道で涼しく快適である。2つ目の橋のところで完全に車道ではなくなる。三井なんとかの「みだりに立入禁止」の立看板があるが、決してみだらと思えないのでそのまま小径を進む、完全なシングルトラックである、荷物さえなければMTBにとってはどうという事のない道だが、さすがにパニアバッグがじゃまになる。途中から幅1m程の堤防状のコンクリ−トの上を延々 と走らされ、2階建の廃屋がひっそりたたずむ杉林にたどり着く、木製の橋があって道が2つに別れている、左は平坦に廃屋の方へ、右は山の方へ登って行く。肝心の2.5万/1の地図を紛失しているため詳細がわからない、自転車を置いて右の山道を200m程登る、道は良く踏まれていて佐本へ抜けられる事は間違いなさそうである、しかし相当の距離を押し上げる必要がある。道路地図にはやや上流に橋の表記があるので分岐まで戻る、廃屋への道をとる、もとは結構立派な家らしいが、杉木立の中で不気味に朽ち始めている。道は殆ど利用されていない様である。吊橋とおぼしきものが見えた、しかし2本のワイヤ−と何枚かの踏み板を残して完全に渡れなくなっている。
 時間はすでに4時を過ぎている、荷物満載の自転車で先の山道を押し上げ、佐本へ抜けても、それから適当な野営場所を探すのも厳しいので、車道の終わる橋のあたりで野営するために引き返すことにした。途中、コンクリ−トの築堤の上で釣り竿をさげたカブと行き違う、これでどうやら佐本へ2輪が抜けられる事は間違いなさそうである。しかしカブであの坂を登るの?
橋の下では鮎釣りの数人のグル−プが、ポ−ルにブル−シ−トをかけただけの支度でキャンプに来ている。「隣り失礼します」と声をかけて世間話を少しして少し影になるところに設営する事にする、発々(発動発電機)をまわしているのでできるだけ離れたかった。今年は7月の台風の影響か殆ど釣れないそうである。
佐本川の流れは非常に綺麗だが上流の佐本に大きな集落がいくつもあるので、昨日と同じ様に飲用だけは煮沸して利用する事にする。設営した場所は佐本川に小さな支流が対岸から流れ込む地点で、対岸に渡れば安全な水が手に入るが、流れも早く、ツ−リングに来て溺れては末代までの恥(末代はないか)になるので遠慮する事にした。日没後、対岸の深い谷に月が登り川の流れに月の光が輝く、とにかく絶景である。あえて難を云えば、時々飛行機が横切る(串本上空は航路にあたる)のと、谷の背後の稜線があまりにも単調である事だ。 本日の走行31.4キロ、天気は完璧に晴れ、風はとにかく涼しい。
8月16日  やはり6時前には目が覚める、当初の計画では5泊6日で、佐本から宮城川林道−大瀬矢野口林道−大附見老津停車場線−大鎌椎平林道−江住駅と走って最終日とし、休みを1日残して帰る予定だったが、天候が良い、スロ−ペ−スでまだ余力がある、そしてまだ帰りたくないという理由で1日延長と決定する。
 食事、撤収、8時には出発となる。昨日の廃屋(ちなみに佐本深谷田鶴平という地名である)への道をとる、実はこの区間の地図は紛失した「滝の拝」ではなく「下露」であり、それにより右への山道をとる事が正しいと確信を得た。右の山道を押し上げ、500m程でトラクタ−が走れる程度の平坦な道にとりつく、しかしロングツ−リングでシングルトラックまで走るとは考えもしなかった。
暫く山腹に沿った平坦な道をとる、コンクリ−トの簡易舗装になるあたりから下りとなる。佐本深谷の集落に下り新しい2車線路に出る、左へ進むと工事中で行き止まりになって先がない。地図とコンパスでよくよく確認すると目的の周参見古座線ではなく、昨日来た佐本深谷三尾川線の工事区間へ入ってしまった様である、引き返し周参見古座線に入り佐本中方面へ進む。今の工事が進むと昨夜見た渓谷の風景も一変してしまうのだなあと思うと残念である。
佐本中はもとの村の中心とあって小・中学校や2,3の商店と郵便局もある、1軒の商店で飲料類を補給する、ちなみにスポ−ツドリンクの類は全くといっていい程飲まない、自転車のボトルに入れているのはいつもウ−ロン茶である。
佐本中の集落を外れるあたりで右折、宮城川林道(みやぎではなくみやしろと読む様である、また立看板には宮城林道とある)に入る、道は既に舗装されている、昨夜から煙草をあまり吸っていないせいか、すこぶる快調である、涼しい杉木立の中の舗装林道を進み、わりあいと楽に標高420m余りの峠に辿り着く、峠には宮城国有林の看板がたち向こう側は未舗装の下り坂が続いている。やはり登りつめた峠の先はドンと下ってなくっちゃ。舗装で登ってオフで下るという理想的なコ−スである。先の商店で仕入れた菓子と缶コ−ヒ−で早めの昼食とする。菓子といっても「バナナカステラ」といういまや街中では見られない食べ物である、なぜか製造元は岡山市である。
 食事休憩のあと出発、荷物を点検してオフの下りに入る、登りで精神的にも消耗しなかったせいか元気にバンバン下る。途中で道を横切る様に鉄板状のものが5cm程立っている、こんなの踏んだらたまらんと止まってみるとゴム製の流れ止めらしい、ゴムならペコっとつぶれるので心配はない、以後遠慮なく踏んで行く。数キロ下ってスヒ−ドメ−タ−の取りつけが緩んでいるのに気がつく、それにバニアバックの振動が激しい、止まって確認するとバニアバックのフックのひとつがキャリアから外れている。妙に思いながら直して再び走り出す。しかしサス無しMTBでこれだけオフロ−ドが続くとたいがい疲れる。2〜3日前からBBもコキコキと鳴り出しているロクな手入れをせずに8千キロ以上も走ってきたこの車もそろそろ引退の時期なのかも知れない。

 峠から約7.5キロ、宮城林道の終点(起点?)の三叉路、大瀬矢野口林道との合流点にでた。丁度12時である。左をとると標高350m程の峠を越えすさみ町矢野口、右をとると日置川町に入り2年前に走った将軍川林道に入る。予定では左なのだが、予定を伸ばした事とオフの登りがつらかったので右をとる事にする。大瀬矢野口林道はなぜか宮城林道より道幅も狭く路面も荒れている。細かいアップダウンがあって北谷の集落(1軒だけかも?)を過ぎるあたりから舗装路となる、この辺りから釣りに来ている人をちらほら見る様になり、大瀬の三叉路からは車にも出会う様になる。将軍川林道といっても舗装路で民家も多くある、上露(道路地図には「こうづゆ」とあるが、国土地理院20万/1には「こうぞい」と記載がある)の集落を過ぎ北谷峠(標高390m程)を越える、ここも登り詰めてからダラダラと緩いアップダウンが続く、どうもこのパタ−ンは好きに成れない。本格的に下りに入る、結構な距離である、2年前に苦労して登った記憶がよみがえる。
 市鹿野(いちかの)は学校や郵便局のあるこの辺りの中心的な町?である、ただ日置川沿いの県道からは1キロ程入るので通過する車が少なく静かな町である、1軒の商店に入り、飲料等とタオルを1枚買う。県道日置川大塔線に出て日置方面へ、10キロ程下るとえびね温泉がそばにある向平キャンプ場に到着、4時を少しまわっていた、持込みテント1張1名730円という低料金で、設備や整備のゆきとどいたキャンプ場で川原と木立の中のサイトがある、夏休みとあって結構利用者があるが区画されたサイトには多少の余裕があったので、静かそうな一番奥のサイトに陣取る事にする。まわりがファミリ−キャンプばかりなので多少浮いてしまった感じでどうも落ち着かない。なお少し下流に「日置川オ−トキャンプビレッジ」というのがあるらしいが、料金は高いとの事である。この付近から上流を日置川峡として紹介されているが、私の目にはとりたてて素晴らしい風景とは思えない。
 ぼちぼちと設営していると「えびね温泉をご利用の方は5時までにお越し下さいのアナウンスが流れる」、温泉に入らなければここまでまわった甲斐がないとあわてて着がえを整え温泉に向かう、自転車で2〜3分の距離である。入浴料は500円、決して広く綺麗とは言えないが、木立に囲まれた円形の吹き抜けの浴室で雰囲気は悪くない。なお鍵のかかるロッカ−などの設備はなく脱衣篭があるだけであるので注意、温泉わきに簡単な食事のできる売店があり、現在、隣で浴場らしき3棟の改修か工事が行われている。
 本日の走行48.6キロ、しかしキャンプ場はさわがしい。
8月17日  いよいよ最終日である、後半は台風の影響で風もある多少不安定な天気だが涼しく過ごし易い日が続いた。おかげで体調はすこぶる良い。
 8時過ぎには食事、撤収を済ませ、キャンプ場を後にする事にする。ざっと2,30組のファミリ−キャンプが来ている様で、出されたゴミの袋がうずたかく積み上げられ、管理や清掃をしているおばさんが、ひとつひとつのゴミ袋を燃えるゴミと燃えないゴミに分別している。キャンプ場とはいえ地元の数少ない観光産業、雇用や仕事を生み出しているのかも知れないが、なんとも少し情けない気持ちになってしまった。
 昨日の日置川大塔線を5キロばかり宇津木(うづき)の集落まで戻り、日置川の支流城川(じょうがわ)沿いの上富田すさみ線に入る、最終日なのでもう要らないテント等の道具を宅急便で送って身軽になりたいのだが、愛用の「クロネコ」どころか「ペリカン」も取扱店が見つからない、この先に期待できそうな集落はすさみ町小河内(おかうち)位しかない、宇津木に自販機が1台あったが、上富田すさみ線にはいるとなにもない、小川の集落を過ぎ城(じょう)の集落に入る、看板もなにもない1軒の薄暗い店を見つけたが誰もいない、近所をうろつくと、それとおぼしきおばあさんが隣家の縁側で話し込んでいる、声を掛け下りてきて貰う、缶飲料といっても、ビ−ルの他はサイダ−、コ−ラ、バヤリ−ス、コ−ヒ−のいずれも200cc缶しかない、それとトマトジュ−スを発見。
 10分ばかり店先で休憩させて貰いながら話をする、城の集落も全員が60代以上になってしまっているそうである。この店のあばあさんは佐本栗垣内、昨日の宮城林道沿いの集落からここへ嫁にきたそうで、孫が海岸沿いの江住におり時々行くが、やはり山の方が過ごし良いと言っていた。 城川も非常に流れの美しい川で、昔一時上流に養鶏場等があったそうだが、もう潰れてしまったそうである。城集落の前後は野営するにも適当なポイントが幾つかあり、昨日走り残した大瀬矢野口林道の西半分を含めて、再び訪れてみたい場所である。町界を越えすさみ町に入る、矢野口には民家はなく作業場らしきものが残るのみの様で、林道はこちら側も未舗装の様である。

 小附、大附と集落を過ぎるが自販機も商店もない、1日3本のバスが役場のある周参見からやってきている、福善寺というお寺も無住寺ではなさそうで、田畑もよく手が入りしいたけの栽培なども盛んにやっていて、過疎地の悲惨な影はやや少ない。標高300mの峠、大附では法師峠と呼んでいたが、地図での法師峠は大附から佐本栗垣内へ越える山道にある。新しくできた道に近くの昔の峠の名前がつく事はあるが、ここの場合はどうも怪しい、越えた先も離れているし、城の商店のおばあさんもはっきり栗垣内への山道を法師峠と認識していた。峠の呼称が変わる事は多く、両側で名前が違ったり、あてた字が異なる場合が往々にある。
 あいかわらず余分な荷物を積んで走っている、峠を越え小河内へ下りたが、道路地図にある郵便局は廃屋になり、ガソリンスタンドや農協支所もとても営業しているとは思えない。もちろん「クロネコ」はない。風が強く、どこかの家の壊れたトタン貼りが音を立て、まるでゴ−ストタウンのごとき有様である。1台の自販機だけはどうやら動いている様だった。ここ小河内で周参見七川古座線(周参見街道)と交差しており、ここから周参見方面へ向かうと「雫の滝」「琴の滝」というのがあるのだが、またの機会とした。当初ここから獅子目峠を越え防己を経て、コカシ峠から大鎌椎平林道の予定だったが、林道がかなりの悪路らしい事と荷物を送って身軽になる事が出来なかったので、真っ直ぐ南下し香ノ塔峠を経て見老津へ至る1車線路をとる事にする。
 小河内から南にとると開けた谷で民家もいくつか点在している、しばらくは緩やかな登りの道が続き、神社を過ぎたあたりから曲がりくねった道となり少し勾配がきつくなる。この先地図から判断すると香ノ塔峠から太平洋が見渡せる筈である。さした苦労もなく峠の切り通しを越え200m程行くと眼下に枯木灘が見下ろせる、海岸線まで直線で3キロにも満たないが標高は400m弱はある、黒島だろうか戎島だろうか枯木灘の大きな岩礁に波がうちよせ白い波濤までが見える。1車線路なので車で来ても止めるスペ−スすらないが、一見の価値はある景観である(小河内をでてから1台の車にも合わなかったが)。
 そろりそろりと雄大な風景を見下ろしながら見老津へ下る。JR見老津駅は当然の様に無人駅だが駅舎跡が「枯木灘海洋生物研究所」となっていて見学する事ができる。どこが運営しているのかは知らないがダイビングの案内などもやっているらしい。見老津の集落は駅から少し離れているが、やはり「クロネコ」取次店はない。交通量の多いR42を東にとり、江住の町まで走り、八百屋兼魚屋みたいな店に黄色い「宅急便」ののぼりを見つける。段ボ−ル箱を2つ分けて貰い、テント、銀マット、寝袋、パニアバック、リアキャリア等を詰め込み、自宅宛に送って貰う。その時に気がついたのだがキャリアの溶接が1ヶ所外れていて、昨日のパニアバックのフックが簡単にはずれてしまったのも、どうやらこれが原因らしい、自転車も自転車だがリアキャリアも分解寸前になってしまっている。
 JR江住駅に着くと、天王寺方面への列車(もちろん特急は止まらない)には1時間半もある、自転車を分解し新調の輪行袋に押し込み、国道沿いのコンビニ風の店で弁当とビ−ルを仕入れ無人の駅のホ−ムで食べる。16時39分、紀伊田辺駅行普通電車に乗り込むとどっと疲れがでる。周参見から特急への乗り換えれば、1時間以上早く帰れるのだが、大きな輪行袋とリュックを抱えて、お盆開けの混雑した列車に乗り込むのも気が引け、紀伊田辺、和歌山、天王寺、王子、高田と5回の乗り換えをこなして5時間半近くをかけて桜井までよくやく帰り着いた。